Googleと中国は共に先進国の平均給料を下げる

大量複製の世界では必然的にひな型を持つ者の力が強くなり、嘗ての大量生産の世界では必然的に生産する職人の力が強くなる。
 
大量生産は当然今でもあるのだが、生産そのものに高度な能力は要求されないようになってきている。
ましてや、データだけなら、ひな型の複製を作成するコストはゼロに近い。
 
前者は中国での生産、後者はソフト=Googleを指す。
ともに、生産というよりは複製(ここでは海賊版等、コピー商品という意味ではない)といった方がしっくりと来る。
 
商品が、企画開発から始まって、広大な工場での大量の人員を投入した生産を経て、商店等での販売まで、 上流から下流に流れるほど関わる人々が増えていく、川のような流れがそこにはかつてあった。
この流れこそが、中間層を形成し先進国に需要をもたらす原動力となったのは間違いがない。
 
しかし、現代、企画開発でひな型を作ったら、後は無いという商品が増えている。
クラウドというものは、まさにそれで複製するだけなので、職人の出番も物流の出番もない。
ソーシャルゲームや等もこの範疇。いくら成長産業だからといって、これらが国の経済全体を支えるなんてことはあり得ない。

これは、IT・ソフトウェアだけに言えることなのだろうか?
 
いや、そうではない。
更に中国という存在が加わることによって、あらゆる商品がこの、ひな型だけで後は何もなしになる。
最高度の知恵で作られたひな型は、いかにして簡単に作れるか=実体の製品であっても、限りなく簡単に作れるように設計されている。
これは、つまり職人的技術の否定である。
 
ひな型の部分には大量の知識が投入されるが、それを生産する部分にはさほど知恵は要求されない。
中国には自家製の携帯電話(山寨)が沢山ある。
これは、中核のチップセットさえあれば、他の部分は適当に作れる=複製は簡単であることを意味する。
 
これは、生産だろうか?
生産という言葉には現場の役割が大きい響きがあるが、複製であれば殆ど役割がない感じとなる。
 
データだけなら大量複製され、実体製品も中国や新興国が大量複製をする。
 
そこに、先進国の大部分の人が絡める部分は限りなく少ない。
賃金に見合う高度なひな型を作れるわけでもなく、大量複製だけなら新興国の人で良い。
 
20世紀は大量生産、(先進国内での)大量消費の時代と云われたものだが、21世紀は大量複製、(世界の金持ちの)大量消費の時代といえるだろう。
 
今後の世界は、先進国に住んでいるからといって、誰でもそれなりの暮らしができた嘗ての世界とはかけ離れたものだと、そのように認識する必要がありそうだ。
そもそも、先進国に居るだけで給料が高いということに合理的な理由など無いのだから。